カーテンを開けて、目に飛び込んできた真っ白な光。
目覚める前からそんな予感はしていたけど、目の前に広がる光景を見ると、やっぱり感激しちゃう。 窓の下に広がる雪景色。

どこまでも続く、白、白、白。見渡す限りの銀白の世界。
もう雪はやんでいるけれど、たった一晩でこんなに景色が変わっちゃうものなのね。

「ユーゴ、早く、早く来いよっ!!」


庭から、ロイのはしゃぐ声が聞こえる。
きっとユーゴを連れ出して、庭中を駆けずり回ってるんだろうな。そんな姿をフロリアに見られたら、また『犬』ってからかれちゃうんじゃないのかな。

今日がお休みの日でよかった。
学校のある日だったら、こんなにのんきに雪を眺めていられないものね。

私はいつもより厚手のカーディガンを羽織ると、朝食の仕度をしに、一階へ降りた。

「あれ、珍しいのね」

ダイニングで、フロリアが窓の外を眺めている。
こんな寒い日は、絶対にベッドから出てこないと思っていたのに。

「やあ、雪の精霊のお出ましだね」

「精霊? 誰のこと?」

「君のことに決まっているじゃないか。見てごらん、この純白の世界。この景色の中には、誰を置いたら一番似合うと思う?」

「……」
「君以外にいないだろう? 清らかな存在である君しか、今目の前に広がる美しい世界の真の住人にはなれないのさ。……いや、違う、君をそこに置いて初めて、世界が出来上がるのかもしれない」

「……朝ご飯、パンでいい?」

「……ふう、ちょと、君には難しい話だったかな。ご飯はなんでもいいよ、君の愛情がつまった物だったら、なんでもね」


苦笑いで肩をすくめると、フロリアは再び窓の外へ目を移した。
フロリアのキザな台詞、最近は聞きなれちゃったみたい。軽く流せるようになっちゃった。

キッチンで、パンを切り分けていると、ユーゴが顔を覗かせた。

  「……何か、手伝う……?」

「あれ、てっきりロイと庭で遊んでいると思ったのに」

「……喧嘩、始まったから……逃げて、きた」

「け、喧嘩!?」

ユーゴに連れられて裏庭に急ぐと、言い争うような声が聞こえてきた。

「てめー、今のわざと顔にぶつけただろっ!」

「ちょっと手が滑っただけじゃないですか! ロイさんこそ、僕の倍以上ある玉をぶつけてくるなんて卑怯です!」

「ひ、聖君……!?」


庭の真ん中で、今にもロイと掴み合いになりそうになっているのは聖君だった。

「ユーゴ、どうして聖君がいるの? で、なんで喧嘩になっちゃってるの!?」

「えっと……、聖、本当はあなたに会いに来て……。門の前でロイに捉まって、雪合戦になって……、それで……、えっと」

「それで、ああなっちゃったわけね」

「てめー、やるか!?」

「望むところですよっ!!」


2人が飛び掛ろうとした瞬間、私は声を張り上げた。

「やめなさーい!!!」

「!!!!」


ピタリ。

何かボタンでも押したように、2人の動きが止まる。そして私の方をゆっくり振り返ると、みるみるうちに顔を青ざめさせた。

「2人共子供じゃないんだから、雪合戦からどうして喧嘩になっちゃうのよ!!」

「あ、いや、これはだなあ……。聖の奴が、わざと俺の顔に思い切り雪を……」

「違いますよ、最初はロイさんがこーんなに大きな玉をぶつけてきたんじゃないですか」

「てことはおまえ、やっぱりわざとか!? 仕返しするつもりだったんだろう!」

「それは手が滑ったって言ってるじゃないですか! 僕はロイさんみたいに卑怯者じゃないですよ!!」

「てめえ、言ったな!」

「ええ、言いましたよ!!」

「やるか!?」

「来いっ!!」

「やーめーなーさーい!!!」

「!!!」


ああもう、どうしてこの2人は寄ると触ると喧嘩になっちゃうのよ。

「2人共頭から足元までぐっしょりじゃないの。風邪ひくでしょ、さ、家に入る!」

まだ不満げな2人をなだめて家に入れると、お風呂を沸かした。全く、風邪なんてひかれちゃったら、一番困るのは看病する私なんだから。

……ところで、魔物って風邪をひくのかな?
よくわからないけど……予防はちゃんとさせないとね。

「おーい、聖、早く出ろよ!」

  リビングのヒーターの前で、ロイが廊下に向かって叫ぶ。ここからお風呂場まで声が届くわけないってわかってるのに、わざと皮肉を言うんだから。

「お客様が優先なんだから、ちょっとくらい待ちなさいよね。はい、ホットミルク」

「お、さんきゅっ」


フロリアには紅茶、ユーゴにはココアを渡し、私もココアの入ったカップを持ってソファーに腰掛けた。

しばらくして、聖君が頭からタオルをかぶり、もじもじしながらリビングに入ってきた。

「お風呂、お借りしました。すみません、先輩にご迷惑をおかけしてしまって……」

「おっ、出たか! んじゃ、俺入ってくる!」

聖君の横を、ロイがすり抜ける。
私は入れ替わりに、聖君をヒーターの前に座らせた。

「これくらいで迷惑なんて言ってたら、うちの居候達はどうなっちゃうのよ」

「あ……、そ、そうです、ね……」


聖君の表情が少し曇る。
……どうしたのかな?

ちょっと気になったけれど、私がミルクの入ったカップを渡すと、すぐに表情が柔らかくなった。

「ありがとうございます」

一口飲んで、ほっと息をついた後、聖君は窓の外に視線を合わせた。

「それにしても、本当によく降りましたね。朝起きて、びっくりして……嬉しくなっちゃいました」

「聖君は、雪が好きなの?」

「はい。あの、雪で苦しんでいる地方の方々には失礼かもしれませんが、雪を見ていると、なんだかあったかい気持ちになるんです」

「あったかい?」

「はい。雪の降ってる日って、例えば転がっている毛糸玉や、カップから上がる湯気や、ちょっとした電気の灯りまで、暖かく見えませんか?」

そういえば、いつもと変わらないはずのこのリビングも、今日は明るく、暖かい色に見えているみたい。

「そういえば、魔界って雪は降るんですか?」

ふいの質問に、フロリアが紅茶のカップを持ったまま、顔だけ向けた。
フロリアも雪が好きなのか、さっきからずっと窓の外を見ている。

「僕が住んでいた場所は降らなかったね。だからこの景気はとても素晴らしく感じるよ。ユーゴの住んでいた場所は、少しは降るんじゃないのかい?」

ココアを飲むのに夢中だったユーゴも、名前を呼ばれて顔を上げた。

「ん……、たまに、降る。ほんとに、たまに」

そう短く言うと、ユーゴは再びココアのカップに口をつけた。
ユーゴには雪よりもココアの方が大事みたい。

「もっと魔界のお話を聞かせて下さいよ。僕、凄く興味があるんです」

聖君て、ロイがいないと素直にフロリアやユーゴと話せるみたい。
2人共子犬みたいだから、同属嫌悪なのかな?

長風呂のロイがいないうちに、聖君はフロリア達から色々な話が聞けて満足したみたい。
髪が十分に乾いたのを確認すると、帰り支度を始めた。

「お昼ご飯、食べて行ってもいいのよ?」


そそくさと玄関まで行った聖君を追いかけて、声をかける。
でも聖君は照れくさそうに顔をくしゃっとさせて笑った。

「いえ、ホットミルクまでご馳走になっちゃったので、十分です。ありがとうございました。フロリアさんやユーゴさんにも、お礼を言っておいて下さいね」

「あっ……」


私の言葉を待つこともなく、聖君はぺこっと頭を下げると、出て行ってしまった。
誰もいなくなった玄関に、ぽつんと1人立ち、私はドアに阻まれ見えるはずもない聖君の背中を目で追いかけていた。

……そういえば、聖君、私に用事だったんじゃないのかな?
ただ、ロイと雪合戦をしに来たわけじゃないよね……?



「夜は冷えるなあ……」

誰にともなく呟いて、私は部屋のヒーターのスイッチを入れた。
午後になって、みんなが家の周りの雪かきをしてくれたから、凍って家から出られないってことはないだろうけど、学校まで歩いて行くのが面倒ね。

それにしても寒い。この分だと、今夜もまた降るんじゃないかな。
ストールを肩から深くかぶった時、机の上の携帯電話が鳴った。

「ん、聖君?」

着信は聖君からになっている。

「もしもし」

「あ、先輩、こんばんは。また降ってきましたよ」

「雪?」

「はい、あの、よかったら、今からちょっとだけ外に出られませんか?」

「今から?」

「実は今、先輩の家の前にいるんです」
 
「え!?」

その言葉の通り、聖君は寒さで頬を真っ赤にしながら家の前に立っていた。
白い息を吐き出しながら、ゆっくりと舞い落ちる小雪の中で佇む聖君の姿が余りにも幻想的で、私はフロリアの言った雪の精霊という言葉を思い出していた。

「あ、すみません、こんな時間に外に呼び出してしまって」

私の姿を見つけると、聖君は軽く手を振った。

「それはいいけど、どうしたの?」

「朝、先輩に教えてあげたいことがあったんですけど、なんとなく話しそびれてしまったんです。夜になってまた降ってきたから、丁度いいかなって思って」

「教えたいこと?」


私が首を傾げると、聖君は悪戯っぽく、そしてちょっと得意げに笑って、コートのポケットからペンライトと黒い紙、そして虫眼鏡を取り出した。

「はい、虫眼鏡を持って下さい」

「う、うん」

「それで、この黒い紙の上に落ちた雪を見てみて下さいね」


黒い紙を下からペンライトで照らし、私に差し出す。虫眼鏡でそれを覗き込んだ瞬間、私は感嘆の声を上げた。

「うわあ、雪の結晶! 本物を見たのなんて初めてよ」

紙の上で、はっきりと、その繊細な形が見える。図鑑やテレビで見たことはあっても、肉眼で見たのは初めてだった。

「ね、綺麗でしょう? このやり方を、先輩に教えてあげたかったんです」

こんな寒い中、わざわざこれを……?
嬉しかったけれど、聖君のまっかなほっぺを見ると、申し訳なくもなってくる。

「電話で教えてくれてもよかったのに。これで本当に風邪をひいたら……なんだか悪いな」

「あはは、いいんですよ。教えてあげたいなんて偉そうなこと言ってますけど、本当は僕が先輩と一緒にこれを見たかっただけなんです」

「聖君……。うん、ありがとう、とっても素敵な物を見せてもらえたよ」

それに対し、聖君はにっこりと笑顔で答えた。

「ねえ、ずっとここにいると冷えちゃうわよ? うちに入らない? 温かい物を用意するから」

「あっ、先輩……」


家に戻ろうとする私の手を、聖君の手が掴んだ。
どきっとしてしまったのは、その手が冷たかったからじゃなくて、そうやって聖君の手に触れたのは、初めてだったから……。

「あの……聖君……?」

繋がった手が気になって、思わず声が上ずってしまう。
聖君はほんの少し顔を赤くしたまま、私の手を離そうとはしなかった。

「我侭言っていいですか……?」

「……」

「もう少しだけ、ここで一緒に、雪を眺めていたいんです。家の中に入ってしまったら、先輩は……彼らのものになってしまうから」

「え?」

「あは、ごめんなさい、僕のただの嫉妬なんです。だからこそ、我侭、なんです」

「……」

「少しだけ……ここにいて、いいですか?」


熱っぽい瞳で見つめるものだから、断ることなんてできなくて……。私は静かに、うなづいた。

インクを零したような暗闇の中から、ひらり、ひらりと雪の花びらが舞い落ちてくる。
その一つ一つが、さっき見た結晶の形に見えてきて、私はうっとりと目を細めた。

雪の降る日は、色々な物が暖かく見える。

聖君はそう言っていたけれど、今の私にはそれがよくわかる。

夜の闇も、舞い落ちる雪も、オレンジ色の街灯も、全てがほんのりと暖かく見えてくる。

「聖君、今日のこと、私絶対に忘れないよ」

そんな微かな呟きが、聖君に聞こえたかどうかわ分からない。
……ううん、きっと伝わってる。
その証拠に、聖君の手を繋ぐ力が少し強くなってるもの。

暖かいね。

雪の降る日に一番暖かいもの――。
それは、こうやって繋がれた手なんだね。

それから私達は黙ったまま、ずっと、ずっと雪の花を眺めていた。




END
written by hiyo

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