『サンドイッチ争奪戦!?』
「うーん、気持ちいい!」
思い切り息を吸い込むと、胸の奥がひんやりとする。ついこの前まで、蝉の声が聞こえていたと思ったのに、すっかり秋の空気ね。
ガラス瓶から覗き込んだみたいな綺麗な水色の空は、どこまでも、高く遠く澄みわたっている。
こんなに綺麗な空が見られるなんて、お昼休みに屋上に上がったのは大正解ね。
……それにしても、美琴ちゃんが風邪でお休みだなんて。
いつも健康自慢な美琴ちゃんだから余計に心配。帰りにお見舞いに行こうかな。
食欲があるようだったら、ケーキでも買っていくんだけど……。
「まさか、お見舞いにサンドイッチってわけにもいかないものね」
私は腕からぶら下げた紙袋を、そっと上から触り、小さなため息をついた。
数学の宿題を写させてもらったお礼に、今日のお弁当は美琴ちゃんの分のサンドイッチも作ってきたのにな。
がんばって早起きして、スモークサーモンとチーズのベーグルサンドに、生ハムとトマトのクロワッサンサンド、デザート用に生クリームとイチゴを挟んだサンドイッチまで気合を入れて作ったのに、一人で食べてもつまらないよ。
そりゃあ、残った分は家に持って帰ればいいんだろうけど、お弁当として作った物を家で食べるのって、ちょっと淋しいな。
「あーあ、どうしようかな」
とりあえず、屋上の一番隅まで歩いてみる。
テーブル付きのベンチがあったはずだから、座って食べようっと。
「ん? ……あ」
そこには、すでに先客がいた。
ミネラルウォーターのボトルを大きな手の平で転がすように持ちながら、ぼんやりと空を眺めている人、それは……。
「奏……さん?」
「……」
大きな背中がゆっくりと振り向く。
やっぱり、奏さんだ。
この人は奏さん。背が高くて細身で、影のある表情がかっこいい人なんだけど、ぶっきらぼうでいつもむすっとしているから、ちょっとだけ恐い。
そのせいで、私の大親友の美琴ちゃんのお兄さんなのに、まともに話したことって、今まで殆どなかったのよね。
「……こんにちは、いいお天気ですね」
「……」
ぷいっと背中を向けられちゃった。これって、無視されたってことよね。
……あーあ、こういう反応が返ってくるってわかってるのに、どうしてついつい話しかけちゃうんだろう。
だって奏さんて、気にしていないと、いつの間にかどこかに消えていなくなっちゃいそうな、危うい雰囲気を持っているんだもの。
美琴ちゃんに言わせると、ただの変人、ってことなんだけど、なんとなくほっとけないのよね。
……ほっとけないって思ってるのは私の方だけで、どうも奏さんの方はいい迷惑って思ってること、本当は気づいているんだけどね。 |
「美琴ちゃん、今日は風邪でお休みなんですね」
めげずに、話しかけてみる。
「……」
やっぱり、無視。
「帰りにお見舞いに行こうと思っているんですけど、食欲はあるんですか?」
「……知らん」
やっと一言返ってきたけど、これじゃあ会話にならないじゃない。
「……あれ?」
奏さんの横に、小さな箱が置いてある。よく、スーパーやコンビニの、健康食品のコーナーで見かける箱だ。
「……バランス栄養食って、奏さん、こんなものでお昼ご飯を済ませているんですか?」
「だからなんだ」
奏さんは、背中を向けたままで答える。
「忙しい時ならともかく、普段はちゃんとしたご飯を食べた方がいいですよ」
「胃に入ればなんでも一緒だ」
「そういう問題じゃないですよ、楽しくない食事は、栄養にならないってうちの母が言ってましたから」
「くだらない話だ」
「くだらなくないですよ、心と体はちゃんと繋がってるんですよ」
「……」
また、黙っちゃった。
背中を向けてるのも話が続かないのも勝手にすればいいわよ。
でもね……、ただでさえ痩せてるのに、こんな食生活見せられちゃったら、やっぱり心配になっちゃうじゃない。
「……あ、そうだ!」
私は図々しく奏さんの隣に座って、膝の上で紙袋を広げた。
そのがさがさした音に、ようやく奏さんがこっちを向く。
「……何をしている」
「今日、美琴ちゃんと一緒に食べようと思ってサンドイッチを作ったんです。でも、美琴ちゃんがお休みになっちゃったから、一人分余っているんですよ。よかったら食べませんか?」
「いらん」
うっ、そ、即答……。
……どうして奏さんていつもこうなんだろう。私と話すのが嫌なのかな。
私って、やっぱりおせっかいなのかなあ……。
「……ふう……」
奏さんに聞こえないように、そっとため息を吐き出す。
なんだか、膝の上に広げたサンドイッチまで、淋しそうに見えてきちゃった。
「あれ! 先輩!」
冷たくなった空気を打ち消すような、明るい声が聞こえてきた。
「偶然ですね! お昼休みに先輩に会えるなんて、屋上に上がってきてよかったです!」
にこにこ、満面の笑みで走ってきたのは、聖君。私の一つ年下の後輩で、この学校に入る前に知り合った子だ。
会ってすぐに、『あなたを守らせて下さい!』って言われてびっくりしちゃったけど、そんな、ちょっと変わったところを除けば、すごく素直ないい子だと思う。
初めて会った時は、小さくて細くて、まるで女の子みたいな顔だったんだけど、最近はようやく男の子らしくなってきたかな?
……なんて、私、聖君のお姉さんみたいね。 |
「真柴先輩も一緒なんですね! 2人でひなたぼっこですか?」
「……どこをどう見たらそう見える」
私の代わりに、奏さんが不機嫌に言う。
「どこをどう見てもひなたぼっこじゃないですか。今日はお天気もいいですし、絶好のひなたぼっこ日和ですよね!」
無邪気に答える聖君。
気まずい空気を読めない聖君の存在が、助かる時もあったり、困る時もあったり、なのよね。
……今は、ちょっと、助かったかな?
「あれ、先輩、これからお昼なんですか?」
サンドイッチを見つけて、聖君が聞いた。
「うん、聖君は?」
「今日、お弁当を忘れてしまったんです。だから学食に行こうと思ったんですけど、混んでるからちょっと空くまで待とうと思ってるんです」
聖君なら、サンドイッチを喜んで食べてくれるかな?
……でも、奏さんにもしっかり栄養を取ってもらいたいな。
「やあ、ここにいたのか」
柔らかい声に振り返ると、そこには智哉君が立っていた。
智哉君は、勉強もできて、スポーツもできて、とってもかっこいい私の自慢の幼馴染なの。
穏やかな話し方、優しい微笑み、眼鏡の奥の知的な瞳が女の子達に大人気なんだけど、それが誇らしかったり、ちょっとつまらなかったり……。
でも、仕方ないよね、智哉君はみんなに優しいから、人気があって当然だもの。
「探したんだよ」
「私を?」
「今朝、美琴ちゃんにお弁当を作ったのに、美琴ちゃんが休んでしまったって話していただろう? それで、どうしたか気になってね」
|
「うん……、丁度、どうしようかなって思ってたところなの」
智哉君はいつもお弁当だから、声をかけなかったんだけど……。
「実は、うっかり僕もお弁当を忘れてしまってね、それで美琴ちゃんの分をもらえないかと思って、君を探して……」
「え! 先輩の作ったお弁当が余ってるんですか? 僕、今日お弁当忘れたんです! すっごく、すっごくおなか空いてます!!」
智哉君の言葉が終わらないうちに、聖君の目がキラキラとサンドイッチに注がれる。
こういう目をされちゃうと、つい、食べる? って聞きたくなっちゃうじゃない。
「藤堂君、今、僕がかなたちゃんと話していたんだから、横から割り込まないでくれるかい?」
にっこり笑った智哉君だけど、目が笑ってない。
お弁当を忘れちゃった智哉君も、サンドイッチが欲しい……のかな?
考えてみると、智哉君に宿題を写させてもらうのなんてしょっちゅうだったから、特別お礼をしたことってなかったかも。
ちゃんと、智哉君の分も作ってくればよかったな。
「うーん、どうしようかな?」
ちらりと奏さんの方を見ると、私達の存在なんてないみたいに、またぼんやりと空を見ていた。
食べたいって言ってくれる人が2人に、食べさせないと! って思う人が1人。
でもサンドイッチは2人分。
……うーん、うーん、うーん。
「……そうだ! 今はこれをみんなで分けて、学食が空く時間になったら、改めてみんなでお昼を食べればいいんじゃない?」
「うわあ、それっていい考えですね! みんな先輩の手作りが食べられるし、あとでちゃんとおなかいっぱいにもなるし」
大喜びでにこにこしている聖君の顔を見ていたら、智哉君も嫌とは言えなくなっちゃったみたい。
ふっと、ため息にもとれる笑いを漏らすと、私の隣に腰掛けた。
さらにその横に聖君が座ったから、ベンチはぎゅうぎゅう。
でも、奏さんは相変わらず知らん顔で空を見ている。
私はベンチの前のテーブルに、サンドイッチを広げた。
「さ、みんな、好きなのを食べてね。奏さんも、ね?」
「……いらん」
……はーあ、もう、いっか。
「智哉君も聖君も、好きなのを取ってね」
「いや、君が作ったんだから、君から好きなのを食べるといいよ」
智哉君が微笑む。
「そうですよ、僕なんて先輩の作ったものだったらなんだって好きですから!」
聖君がベンチから転がり落ちそうな勢いで言う。
「そ……そう?」
どれにしようかなあ。
「うーんと、じゃあ、これ!」
私はベーグルサンドを掴んで、ラップをはがした。
そしてぱくりと一口。
「うん、我ながら美味しい!」
「それ、美味しそうだね」
智哉君が中身を覗き込んでくる。
「サーモンとカマンベールチーズが挟んであるのよ。マヨネーズソースは手作りなんだから」
「うわあ、本当に美味しそうですね!」
ぱっ。
智哉君と聖君の手が重なる。同じ、ベーグルサンドの上で。
「あ……、佐倉先輩もこれを?」
「……まあ、ね」
「……」
おずおずと聖君が手を引っ込める。こういう時、妙に諦めがいいから、かえって可哀想になっっちゃう。
「いいよ、これは藤堂君が食べたら?」
さすが智哉君、大人の対応ね。
「いいんですか?」
「僕はかなたちゃんが食べた半分をもらうから。ねえ、いいよね?」
「え? うん、別にいいわよ」
智哉君と食べ物を半分こなんて、子供の頃から当たり前だったから、問題ないもの。
「さ、佐倉先輩、それって、とっても羨ましいです!!」
「え? ええ??」
聖君たら、いきなり何を言い出すのかしら。
「僕も先輩と半分こしたいです! その、先輩が食べた後に!」
「……」
えっと、それって……??
「……藤堂君、君のバカ正直さには感服だよ……」
「あ、あああ、えっと、僕……」
聖君が真っ赤になっちゃったから、私にもその理由がわかっちゃった。
つ、つまりは……遠回し……ううん、かなり直接的に、間接キスしたい! って言われてるのよ……ね?
「あー、もう、何をおかしなことを言ってるのよーっ!!」
私まで恥ずかしくなって、もう、怒るしかできない。
「そっちを智哉君と聖君の2人で半分こすればいいわよ! これは私が全部食べる! ……ん?」
あれれ?
いつの間にか、私の手からサンドイッチが消えてる。
「あー! 真柴先輩!!」
聖君が指差す方を見ると、奏さんが私の食べかけのサンドイッチを、平然と食べていた。
「奏さん、……あなた、何をやっているんですか?」
奏さんの突飛な行動に智哉君も目を丸くしている。
「……あ、あの、奏さん?」
私は突然の事態におろおろすることしかできない。
みんなの視線なんて完全無視で、奏さんは大きな口であっという間にサンドイッチを食べてしまった。
「あ、あ、先輩の食べかけサンドイッチか!」
ひ、聖君、その言い方やめてよ……。
「さっきまでいらないと言っていたのに、彼女が口に付けたものなら、食べるんですね。あまりいい趣味とは言えませんが?」
にっこり笑ってはいるものの、智哉君の口調には棘がある。
「お前らがあんまりにもうるさいから、その原因を取り除いただけだ。全く、休み時間だっていうのにゆっくり休むこともできない」
「そ、そんなこと言って、真柴先輩も先輩の食べかけを狙っていたんじゃないんですか!?」
だから聖君、その言い方……。
「かなたちゃんに興味がないふりをしておきながら、油断ならない人ですね」
声は冷静だけれど、智哉君の目は明らかに怒っている。
「興味がないとは一言も言っていない。が、それがお前らの考える意味の興味だとするなら、きっぱりないと言える」
「さて、どこまで信用していいのやら。……今の行動を見てしまうと、特に、ね。だって、ゆっくり休みたいのなら、さっさとここから立ち去ればいいんじゃないんですか?」
「俺が最初にいた。去るならお前たちが去れ」
ちょっと、智哉君と奏さん、サンドイッチ一つで、どうしてこんなに険悪な雰囲気になちゃってるのよ〜!
「あの、先輩」
「え? 聖君、どうしたの?」
「今のうちに、2人で食べちゃいましょうよ!」
そ、そんなのんきなこと言ってる場合じゃ!
こんな時は、もっと空気を読んでよ〜!!
「……藤堂君、内緒話ならもう少し小さな声でしたらどうだい?」
「あ、わわ、佐倉先輩、聞こえてましたか!?」
……当たり前じゃない、聖君たら、智哉君の前に身を乗り出して堂々と話しているんだもの。
あー、もう、なんだか滅茶苦茶!
どうしたらいいのかわからない〜!!
「……ぷっ、あははは、ほんと、おっかしーの!」
「……み、美琴ちゃん!?」
豪快な笑い声の主は美琴ちゃんで、いつの間にか私達の前に立って、おなかを抱えて笑っている。
「今日、風邪でお休みだったんじゃ……」
「1時間も寝たら治ってさ、家にいても暇だからきちゃったってわけ」
さ、さすが美琴ちゃん、タフだわ……。
「あ、あ、あー!!」
聖君の悲痛な叫び声。
今度は何!?
「サンドイッチが、全部ありません!」
「ええっ?」
テーブルの上に並んでいたはずのサンドイッチは跡形もなく、ラップだけが残されている。
「あ、これ? かなたを巡る、あんたたちのくだらないやりとりを見ながら、全部食べちゃった」
美琴ちゃんが満足そうにおなかをさすった。
「君……、病み上がりだろう?」
智哉君も呆れ顔。
「病み上がりだからこそ、栄養が必要なんだって。なんてったって、今朝から何にも食べてなかったからね」
……ほんと、美琴ちゃんには誰も勝てないわよ……。
ため息と同時に、お昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「……あれ? てことは、美琴先輩以外、僕たち全員、お昼ご飯を食べ損ねたってことじゃ……」
聖君が確信をついた。
そ、そうよ! 美琴ちゃんたら、私の分まで食べちゃったんじゃないの〜!
「だったらさ、これからみんなで学校さぼって、ご飯を食べに行けばいいよ」
けろりと、美琴ちゃんが大胆なことを言う。
「で、でも、美琴ちゃんは今食べたばかりじゃない」
「今のは朝食。これから食べるのはお昼ね」
その細い体のどこに、それだけの量が入るんだろう……。羨ましい。
「……俺は教室に戻るぞ」
むすっとしたまま立ち去ろうとする奏さんの腕を、美琴ちゃんががっちり掴む。
「兄貴なんて、しょっちゅうサボってんだからさ、今更サボったところで、痛くもかゆくもないんでしょ?」
「……お前はまた無茶なことを……」
「たまには付き合いなって! んで、佐倉と藤堂はどうするの?」
「まあ、1日休んだからと言って、授業についていけなくなるような僕じゃないからね」
「よし、じゃあ佐倉は決定。……で、かなた、あんたはどうする?」
私? 私は勿論……。
「お好み焼きが食べたいな〜!」
えいやと勢いよく立ち上がり、私は美琴ちゃんたちの後に続いた。
「せ、先輩が行くなら、僕だって、アラスカだろうが沖縄だろうが着いていきますよ!!」
慌てて、聖君も後についてきた。
「北はともかく……南だけやけに近いな」
ぼそっと、真面目な顔をして奏さんが突っ込むから、私達はおなかを抱えて笑ってしまった。
……今度はちゃんと、みんなの分のサンドイッチを作ろう。
青空の下、ピクニックシートを広げてみんなで仲良くサンドイッチをほおばる光景を思い描き、自然と笑みがこぼれた。
the end
written by hiyo |